30 May 2013








だけど、これは「野ざらし」だぞ!

 小さいくせに、ただならぬこの木肌の力。間近で見ると、圧倒される。吸い寄せられるように見入ってし まう。
 それは、昔の作家が、原稿用紙のひとマスひとマスを丁寧に埋めていったであろう文字を辿るのに似てい る。画家が、一筆一筆カンバスにおいていった絵の具の跡を辿るのにも似ている。
 520年前…、織田君や豊臣君が生まれるもっと前。その頃の古文書や絵画、工芸品が現存するだけでも 偉いことだと思うけれど、これはその間、水を吸って、葉っぱをつけて、日々活動を続けて来ているんだか らなあ…
 こんなのを目前にすると「自分の生涯、数十年の時間なんて」と、思わざるを得ない。

 しかも、520年人が管理し続けているという所が凄い。
 これが万一、今、枯れ始めちゃったらどうするんだろう? なんか、これでいいのかなあ…? 「盆栽 殿」みたいな所に鎮座していなくていいのかなあ…? 僕なんか、考えただけでオロオロしてしまう。
 もちろん、専門家が日々丹誠込めて愛情もって管理されているんだとは思うけど、「野ざらし」には違い ないじゃん!

 でも、そうじゃないんだろうね。
 この小さな世界に流れ続けて来た時に向かい合う、今の一瞬に意味があるのであって、いつかその時が来 たら、それはそれで摂理として受け止める事が出来る様じゃないと、この活動する文化財の本質を鑑 賞する事は出来ていないんだろうな、きっと(違うか?)。

 「野ざらし」の真意、そこにありと見た(違うかな…?)


白金台、八芳園の庭にて 盆栽